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新堂が出て行って、しばらくすると、今度は真那がドアを叩いた。
「零ちゃーん、着替え持ってきたよ〜」
(……着替え?)
不思議に思ってドアを開けると、満面の笑みを浮かべた真那が、見慣れないショップバッグを持って現れた。
「零ちゃんに、何か着る物を買ってきてくれって頼まれたの……あの超イケメンに」
「……超イケメンって、誰? 新堂さん?」
話が見えず、零が聞き返すと、真那はくすくす笑いながらショップバッグを開いた。
「新堂さんじゃないよ。
ほら、翔太クンと話してた弁護士さんがいたでしょ?」
思いがけない真那の返答に、零は訝しみながら首を傾げた。
「え……だって……どうしてあの人が?」
「わかんないけど、翔太クンの事で、あたしにも謝ってきたよ。
それよりさ……じゃーん♪ どう、これ?
近くのショップで見つけたんだけど、まあまあカワイイでしょ?
あたし的には地味なんだけど、零ちゃんが着るやつだから……」
真那が取り出したのは、幅の広いフリルが段になって重なるマキシ丈の白いロングスカートだった。
「スカート……はかないんだけど……最近」
やや装飾過剰気味のスカートに戸惑い、零がぼそりと呟くと、真那はぶんぶんと大きく頭を横に振った。
「スカートじゃなくて、これ、パンツなの──いわゆるガウチョパンツってやつ?
裾が広がってるから、ロングスカートっぽく見えるけど。
でも、足にぴったりくっつくと、火傷に触るから痛いでしょ?」
「やっぱり、ダメ?」と不安そうに首を傾げた真那を見下ろし、零はくすりと微笑んだ。
多少自分の趣味に走っている感はあるが、真那は真那なりに、いろいろ考えて選んでくれたらしい。
「ありがとう、着てみるよ。──ところで、翔太君、大丈夫そう?」
「かなりヘコんでたけど、マスターと一緒に片付けしてたよ。
他にお客さんもいるから、そっちも放っておけないし」
着替えをする零のために気を遣ったのか、真那はくるりと背を向けた。
「ああいうの見ちゃうと、あたしも気をつけなきゃな〜って思うよ。
水割りが入ったグラス、前にひっくり返したことあるもん。
お客さんがいい人だったから、騒ぎにはならなかったけどさ」
零がバーテンダーとして働いていた、ニューハーフ・パブ「クリスタルローズ」にホステスとして勤めている真那は、自戒するようなしみじみとした声で言った。
「……そうだね」
スカートもどきのパンツに足を通した零は、真那の意見に共感しつつ、ウエストのボタンを留めた。
「はいてみると、意外に馴染むかも。変じゃない?」
着替え終わった零が声をかけると、振り向いた真那はファッションチェックを始めた。
「うん、変じゃないよ……大人っぽい感じ。
零ちゃん、背が高いから、そういうのでも似合うよね〜」
「でも、知らない人に買ってもらうのは、気が引けるなあ」
眉をひそめて呟いた零を見上げ、真那は首を傾げた。
「お金持ちそうだし、大丈夫じゃない?」
「そういう問題じゃなくて……。
彼が翔太君のお父さんとか、お兄さんだっていうなら、まだ判るんだけど、違うでしょ?
関係無い人を巻き込んじゃっていいのかな」
「彼の方は、関係無いとは思ってなさそうだったけどね。
直接会って、聞いてみればいいじゃん。
ここに呼んでこようか? あの人もまだ、お店で待ってるよ」
赤い唇をにんまりとつり上げた真那の言葉に、零は驚いて目を見開いた。
「──申し訳ありませんでした」
ほとんど直角に長身を折り曲げ、零に謝罪したその男の名は、功刀彰丈(クヌギ アキヒロ)といった。
差し出された名刺を見て、その珍しい名字の読み方を確認した零は、なかなか頭を上げない男を見て、慌てて言った。
「頭を上げてください、功刀さん。
火傷といったって、本当に大した事無いんです
私の方こそ、大げさに騒いでしまってすみませんでした」
姿勢を正した功刀は、思った通り背が高く、圧倒されてしまいそうだった。
真那や新堂、そして様子を見に来た丹波までが勢揃いしているせいで、ただでさえ狭い部屋が、さらに狭苦しく感じられる。
その時、部屋のドアが開き、憔悴した顔つきの翔太が入ってきた。
翔太は、驚愕したように立ちすくんでいたが、功刀の顔を見上げた途端、苦しそうに眉をひそめた。
「──功刀さんは関係無い。
これは俺の問題なんだから、帰ってください」
翔太は決然とした声でそう言い放つと、そのまま零の前に進み出て、深々と頭を下げた。
「零さん、本当にすみませんでした。
これ、薬局で買ってきたから、使ってください」
翔太が買ってきたのは、火傷に効果がある軟膏だった。
それを見て、背後に控えていた新堂が不満げに片眉をつり上げたが、口を開こうとした途端、さっと振り返った零の顔を見て黙り込んだ。
「ありがとう、翔太君。
使わせてもらうけど、本当に大した火傷じゃないから、気にしないで。
明日になったら、きっと治ってるから」
軟膏を受け取った零がそう言うと、翔太は泣き出しそうな表情でうなだれた。
「すみません……俺って、本当に何もできなくて。
言い訳にしかならないけど、あの時、急に立ちくらみがしちゃって……」
それを聞いた新堂は、忌々しげに鼻を鳴らした。
「本当に言い訳だな──あれが熱湯だったら、どうなってたと思うんだ? 反省しろ」
いつもより低い苛立たしげな声で、新堂が嫌味を言う。
その途端、翔太は顔を青ざめさせ、見るも哀れなほどに落ち込んでしまった。
「──新堂さん!」
零は思わず新堂を睨み、翔太の前に歩み寄った。
「飲食の仕事してたら、誰だって失敗することはあります。
これから気をつけてとしか言えないけど、こんな事で、カッツェを辞めないでくださいね。
翔太君がいないと、マスターも困っちゃうと思うから……」
頭を上げた翔太は、じっと零の顔を見つめると、涙ぐみながらうなずいた。
「ありがとうございます、零さん。
ホントは、そんな事言ってもらえるような資格無いんだけど、俺、この仕事、気に入ってたから……」
涙をこらえるように唇を噛んだ翔太の頭を、マスターの丹波が励ますように軽く叩いた。
「零ちゃんで、ラッキーだったんだぞ、翔太。
これが怖いお兄さんだったら、どうなってたことか」
その言葉を聞いた途端、新堂は気まずそうに視線を泳がせた。
どう考えても、零は甘すぎる──新堂はそう思っていたが、今ここで翔太を脅すような言動をすると、自分の立場が微妙になる。
タイミングが悪いことに、翔太には弁護士らしき、いけ好かない男がはり付いている。
新堂は誰にも聞かれないように小さく舌打ちをすると、功刀に鋭い視線を向けた。
──何者かは知らないが、どうも気に入らない。
人目を惹きつける整った顔立ちの男は、新堂と違って硬派な雰囲気があった。
太く、黒々とした眉の下には、強い意志を感じさせる双眸がおさまっており、いかにも誠実そうで正義感に満ちた印象だった。
極道や裏世界の住人に漂う荒んだ影が、この男には感じられない。
明るい太陽の下を、人から蔑まれることもなく、堂々と歩いてきたのだろう。
言うなれば、元ホストの新堂とは真逆のタイプだった。
そのせいなのか、雄の本能とでも言うのか、傍にいるだけで神経がチリチリと逆立つような苛立ちを感じた。
一方、そんな新堂の心境も知らず、零は功刀に頭を下げた。
「着替えを買って下さったと、真那から聞きました。
ありがとうございます。
でも、そこまでしていただかなくても大丈夫ですから、お金はお返しします」
それを聞いた翔太が、驚愕したように功刀を見つめた。
「……俺の責任だから、零さんの洋服代は、俺が払うよ。
それくらいだったら、バイト代で出せるんだから」
「結構、高かったけどね〜」
真那が悪戯っぽく笑いながら茶々を入れる。
必死の眼差しを向けてくる翔太を見下ろした功刀は、口許に微笑を浮かべた。
「じゃあ、これは君の出世払いということにしておこう。
貸しにしておくから、いつか返してもらう──それでいいか?」
翔太は戸惑ったように瞬きを繰り返し、小さく頷いた。
「わかった……すぐに返すよ」
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