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妖精騎士の帰還



<10>



 すると、アルレインは困惑したようにウォーデンから視線をそらし、地面を見つめて考え込んだ。

「お前が世界樹を伐り始めたら、他の者たちが黙っていないだろう」

「もちろん、俺の身の安全も、少しは考えてくださいよ。
 そうでなくては、森中のエルフたちから袋叩きにされてしまいそうですから」

 物憂げな表情でアルレインがうなずくと、ウォーデンはふと閃きを感じて天を仰ぎ、急に真顔になった。

「ただし、一つだけ条件があります」

「──条件?」

 訝しげに眉をひそめたアルレインを見つめ、ウォーデンは不敵な笑みを浮かべた。

「俺が誰を伴侶に選ぼうと、あなただけは絶対に反対しないとご誓約を。
 ご誓約いただけたなら、このウォーデン、世界樹を見事伐ってご覧にいれましょう」

 芝居がかったお辞儀をして見せるウォーデンをじっと見つめ、アルレインは怪訝そうに首を傾げた。

「誓約などしなくとも、お前が選ぶ相手なら、反対するつもりはないが」

 するとウォーデンはターコイズの双眸を細め、戸惑っているアルレインに人の悪い笑みを向けた。

「──たとえ、それがリィーンの娘であっても?」

「……何だと!?」

 動揺するアルレインの表情を見て満足し、ウォーデンはくつくつと笑った。

「実はバルディーズ王が、望むものを与えてくれると約束して下さいまして。
 ちょっとした嫌がらせも兼ねて、リィーンの娘を貰ってやろうかと考えていたわけですよ。
 とは言え、この森の王たるあなたに反対されると、ちと厄介ですからな」

 おどけるように両手を広げたウォーデンを冷ややかに睨んだアルレインは、白皙の額を押さえて深い嘆息をもらした。

「……リィーンに娘はいないはずだ」

 苦々しい声でそう呟いたアルレインに、ウォーデンはにやにやと笑いかけた。

「ええ、残念ながら──しかし考えてもみてください。
 この俺に娘を嫁がせなければならないと思ったら、あの王様もさすがに冷静ではいられないでしょう。
 リィーンに手出しをするのを躊躇うようになるかもしれない。
 どちらに転んでも、ちょっとした意趣返しができるというわけです」

「呆れたな。そもそもバルディーズの前に、リィーンが承諾しないだろう」

「気長に説得しますよ。アッサールに出向く理由にもなる」

 同じエルフとは思えぬほど狡猾な微笑を浮かべるウォーデンを、アルレインは呆れ果てたようにしばらく眺めていた。

「いかがです? ご誓約していただけますか?」

 若き妖精王の正面に回り込んだウォーデンは、苦悩するように翡翠の双眸を閉ざしたアルレインにそう問いかけた。

 するとアルレインは瞼を開き、期待に瞳を輝かせるウォーデンをひたりと見つめた。

「──リィーンの娘だけは許さぬ」

「何故です?」

 鋭く聞き返したウォーデンに、アルレインは淡々と理由を説明した。

「世界樹が倒れれば、エルフたちは激しく動揺し、森は混乱を極めるだろう。
 そんな時に、お前がリィーンの娘……バルディーズの娘を娶れば、さらに混乱が深まるだけだ。
 私はこの森の王として、それを許すわけにはいかない。
 それでもなおリィーンの娘を妻にと望むなら、お前はこの森を離れねばならない」

 双眸を眇めたウォーデンは、首をひねってアルレインの美貌を見返した。

「つまり、あなたが反対するのは、個人的な感情からではないと?」

「私が愛したのはリィーンだ。娘ではない。お前はそうではなかったのか、ウォーデン?」

 アルレインをまじまじと見つめたウォーデンは、落胆したように大きな嘆息をもらし、ごろりと仰向けに転がった。

「……まあいい。時間はまだ十分に残されている。
 俺は一度オヴニルに戻り、アッサールへ行かねばなりません。
 その間に、長老方や他のエルフたちへの説得をなさってください」

 ターコイズの双眸を閉ざしてそう告げたウォーデンを眺めやり、アルレインは口の端に淡い微笑を浮かべた。

「条件とやらはもう良いのか?」

「良くはありませんが、とりあえずは良しとしましょう。
 俺としても、まだ迷いが残っているんです。
 運命の流れがどう変わるのか、しばらく様子を見ることにしますよ」

 そう言って大きな欠伸をしたウォーデンは、ふと思い出したように瞼を開いた。

「そうそう、レウィーナ殿には、まず初めに伝えてください。
 あなたの力になりたいと思い悩んでいましたからね。
 今後、彼女の力が必要になることもあるでしょう」

「──そうだな」

 低く呟いたアルレインがため息をつくのを感じ、ウォーデンは微睡みに誘われてうとうとしながら、唇に皮肉っぽい微笑を刻んだ。




 翌朝、<常春の森>は真っ白な朝靄に包まれていた。

 滝のほとりの草原で、そのまま眠り込んでしまったウォーデンは、欠伸をしながら視界の悪い周囲を見渡した。

 湿気を吸ってしっとりした衣服を脱ぎ、霧の中に青白く浮かんでいる泉に飛び込むと、冷たい水が心地良く感じられた。

 泉の底から透き通った水の精が浮かび上がり、細い手を伸ばしてくる。

 ウォーデンはしばらく水精と戯れながら泉の中を泳いでいたが、靄が晴れてくると、軽やかな馬蹄の響きが近づいてくることに気づいた。

 朝靄の中から白馬に乗ったレウィーナが現れると、ウォーデンは泉の中から手を振って見せた。

「──朝食をお持ちいたしましたわ、ウォーデン殿。
 アルレイン様が、『ウォーデンが眠ってしまったから、持って行ってやれ』と仰って」

「帰ってしまうなら、起こしてくれれば良かったのに。
 まったく薄情なお人ですよ、我らが王は」

 泉から上がったウォーデンがぶつぶつ文句を言うと、レウィーナは朗らかな声で笑った。

「ウォーデン殿がぐっすり眠ってしまわれたので、起こすのを躊躇われたそうですよ。
 アルレイン様なりに気を遣われたのだと思いますけれど。
 ……そうそう、お屋敷に立ち寄って、お着替えもお持ちしました」

 不機嫌な面持ちで湿った衣服を眺めていたウォーデンに、レウィーナは清潔な着替えが入った木箱を差し出した。

「お屋敷の方々が嘆いておられましたよ、ウォーデン殿。
 ようやく帰ってきたと思ったら、今度は森で野宿するようになってしまわれた、と」

「疲れていると、帰るのが面倒で。
 凍死する心配もないし、誰かしら食い物を持ってきてくれますからな」

 苦笑しながらそう弁解し、ウォーデンが着替えていると、その間にレウィーナが朝食の支度を調えた。

「……アルレイン様が、世界樹のことを話してくださいました」

 その後、ウォーデンに給仕していたレウィーナが、ぽつりと呟いた。

 ウォーデンが食事をする手を止めると、レウィーナは悲しげな、それでもどこか安堵したような微笑みを浮かべて見せた。

「本当にありがとうございました、ウォーデン殿。
 エルフにとっては何よりも悲しむべきことですけれど、わたくしにとっては、アルレイン様が秘密を打ち明けてくださったことの方が嬉しいのです。
 わたくしごときが、この森のために何ができるのか判りませんが、アルレイン様を精一杯お助けしたいと思っておりますわ」

 レウィーナの瞳から思い詰めた憂いの翳りが消えていることに気づき、ウォーデンは運命の皮肉を内心で笑った。

「それは良かった。あなたの助力があれば、我が君もさぞ心強いことでしょう」

 実際、長老会への説得や根回しは、アルレインよりもレウィーナの方が、遙かに上手くやるだろう。

 アルレインが<常春の森>を出奔したことを、いまだに快く思っていない者も存在する。

 その一方で、当時、この森の中心となって支えていたレウィーナは、長老たちのお気に入りであった。

 そんな事を考えていると、レウィーナが首を傾げて、じっとウォーデンを見つめた。

「……それで、わたくし、ウォーデン殿にお願いがありますの」

「今度はどんな難題をふっかけようと言うんです?」

 思わずたじろぎ、ウォーデンが皮肉っぽく聞き返すと、レウィーナは花がほころぶような笑顔になった。

「そんなに警戒なさらないでください──大した事ではないんですよ。
 わたくし、この一件が落ち着きましたら、一人で旅をしてみようと思っているのです。
 ですから、その間、わたくしの代わりにアルレイン様の傍にいてくださいね」

「……レウィーナ殿が、旅ですか?」

 予想外の言葉にウォーデンが驚いていると、レウィーナはくすくすと笑い出した。

「わたくしに、森の外に出かけてみろと仰ったのは、ウォーデン殿でしょう?
 ここに来るまでの間に、ふとそうしてみようと思ったのです。
 確かにわたくしは森の外の事を何も知りませんから。
 ただ、世界樹が倒れ、この森が変わってゆくのなら、今まで通りの生活ができなくなるかもしれません。
 そうなる前に、この森の周りに住む人々が、どのような暮らしをしているのか知っておかねば。
 この森を守るためには、そうすることが必要なのではないかと思ったのです」

 森の木々を慈しむように見回したレウィーナは、呆気に取られているウォーデンに優しく微笑みかけた。

「──ただ、アルレイン様のことが、どうしても心配なのです。
 あの方は時々、誰よりも危うく見えることがありますから。
 けれど、ウォーデン殿がこの森に留まっていてくだされば、わたくしも安心して旅立つことができます。
 こうしてお願いしておかないと、あなたは、またどこかに行ってしまいそうですからね」

「……そういうことであれば、善処しますよ」

 戸惑いつつウォーデンがそう答えると、レウィーナは空になった皿を片付けながら、安堵したようにうなずいた。

「あなたは、この森に必要な方なのですよ、ウォーデン殿。
 どうか、その事をお忘れにならないでくださいね」

 しっかり釘を刺されているような気もしたが、ウォーデンは曖昧に笑ってごまかした。

 レウィーナが帰っていくと、満腹になったせいか、それとも気が緩んだためか、また眠気が襲ってくる。

 そのまま眠り込んでも咎める者はいなかったが、ウォーデンは立ち上がった。

「──さて、銀鱗樹を伐りに行くか」

 いずれ世界樹を伐り倒さなければならない日が来るとしても、枯れゆく木々を放置しておくわけにはいかない。

 神々の恩寵を失った<常春の森>を守っていくのは、世界樹の守り人であったエルフの役目であった。

 いつの日か森が「常春」ではなくなり、エルフの寿命が人と同じ限りあるものになったとしても、この森がエルフたちの故郷であることには変わりない。

 たとえエルフが世界中に散らばっていくとしても、この森に残る者はいるだろう。

 この<常春の森>は、エルフが大切に守り、受け継いでゆかねばならない場所だった。

 代々の妖精王が、守り、慈しんできた聖なる地──神々が去っても、妖精王の思いは今も変わらずこの森の中に残されているのだ。

「とは言え……こんな事になるとは、思いもしなかったがな」

 カイレスの剣を受け取った時、まさかこれほどの重荷を背負うことになろうとは想像もしなかった。

 剣を得るための代償は、カイレスのために、森の木を伐り、薪を割るだけ。

 我ながら名案だったと自画自賛していたが、ルシュや七柱の神々は、きっとそんなウォーデンを笑っていただろう。

「……策士、策に溺れる……というやつだな」

 天を仰いで盛大なため息をついたウォーデンは、魔神の斧ランドルーンを担ぎ、重い足取りで新たな銀鱗樹を伐りに向かったのだった。




─ The end ─



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